総額600万円。ライカとオールドレンズを買い漁っても心が満たされなかった私の末路

ひとりごと

ついに、預金残高が底を突きました。

銀行アプリに表示された数字を見た瞬間、私は自分の目を疑いました。

夜な夜な中古カメラショップやフリマアプリをリロードし続け、希少なライカのレンズを見つけては「今買わなければ二度と出会えない」という強迫観念に突き動かされて注文ボタンをタップ。そんな狂乱の日々の代償は、総額600万円というあまりにも重い数字でした。

しかし、いざ口座が空っぽになった瞬間に襲ってきたのは達成感などではありませんでした。どれだけ手に入れても結局満たされなかったという残酷な事実、そして取り返しのつかないことをしたという深い後悔でした。

この記事では、ライカ沼に溺れかけた私の実体験を通じて、物欲の正体と、今手元にある道具を愛することの大切さについて「ひとりごと」を話していきます。

「一期一会」という名の甘い罠

ライカという世界には、他のカメラにはない特有の深い「沼」があります。それは、現行品ではない「オールドレンズ」という、二度と同じコンディションには出会えない一点モノが支配する世界です。

年々、良い個体が減っている事も事実ですし、半世紀以上前に製造されたレンズが今も現役なんてロマンがありますよね。

当時の私は、文字通りこの沼に引きずり込まれ、完全に理性を失っていました。希少性のあるレンズが、良好なコンディションで見つかった時のドーパミンは異常でした。「これだけの良個体、次に出会えるのは一生ないかもしれない」

そう思った瞬間、「誰かに取られたくない」と、すぐさま決済へと進んでいくのでした。

購入後も、隙間時間さえあれば、出品状況の更新

まだカメラやレンズに対して知識がなかった頃も出品されたばかりの良さそうな商品を見つけると、急いでこの金額がお得なのか希少なのか調べていました。
(実際に出品されたばかりでも、直ぐに売却されることも多く、段々と判断が鈍っていきます)

実際に購入して、注文完了のメールが届いた瞬間、強烈な充足感に包まれます。

しかし、その幸福のピークは、皮肉にも「買った瞬間」に終わっていました

配送されて手元に届く前には「次の一本」への渇望が始まり、届いたレンズを愛でる暇もなく、また画面の中へと戻っていく。そんな終わりのないループに足を踏み入れていたのです。

【本末転倒】レンズを探すために、シャッターを切るのをやめた日

カメラは本来、写真を撮るための道具です。しかし、当時の私にとってのライカは、もはや「探して手に入れること」自体が目的になっていました。

私が最も異常だったのは、「撮影に行く時間がもったいない」と感じ始めていたことです。

通勤時、貴重な昼休み、帰宅後の夜、休日など。生活の中にあるあらゆる隙間時間は、すべて検索と更新に捧げられました。「もし撮影に出かけている数時間の間に、あの希少なレンズが出品されたら?」「自分がシャッターを切っている間に、タッチの差で誰かに買われてしまったら?」

そんな不安が、私を家の中に、そして画面の前に縛り付けていました。

「これはスナップ用」「これはポートレート用」ともっともらしい理由を付けてコレクションを増やし、コンプリートすることに全神経を注ぐ。

その結果、手元には驚くほどの機材が積み上がる一方で、防湿庫の外に持ち出される機会は目に見えて減っていきました
(物理的にも選択肢が多くなるので、1本あたりの持ち出す機会は減ります)

機材はアップデートされても、私の視点は何も変わらず、写真フォルダには試写程度の、中身のない写真ばかりが虚しく増えていきました

強制終了―「預金残高」という残酷な数字

そんな狂乱の日々に、突然の終止符が打たれました。きっかけは、次のレンズを探す前に今、どれくらいカード利用できるんだろうと、調べていた時の事です。

次の引き落としで、預金残高がついに底をついてしまう事に気付きます。

それまで毎月のカード請求額がどれほど膨もうと、どこか麻痺していました。しかし、数字という現実はあまりにも残酷でした。

いざ口座が空っぽになった瞬間、襲ってきたのは言葉にできない虚無感、そして深い後悔でした。

画面の向こうにある「次のレンズ」が、急に色褪せて見えました。

「私は一体、何のためにこれほどのお金を使い、何のためにこのカメラを手に入れたのか」。冷や水を浴びせられたような感覚の中で、私はようやく、自分がどれほど本質から外れた場所にいたかを思い知らされたのです。

【矛盾】高いレンズほど「使えない」という皮肉

あんなに喉から手が出るほど欲しくて探し当てた希少なレンズ。しかし、いざ手元に届いてみると、そこには予想だにしない「呪縛」が待っていました。

「絶対に傷をつけたくない。埃ひとつ入れたくない」

数十万円、時には百万円を超えるそのレンズは、私にとってすでに道具ではなく、壊してはならない「置物」に変わっていました。

私は高額なレンズを持ち出す勇気が持てなくなっていたのです。

そんな私を救ってくれたのは、ライカ以外にも手を出して手に入れていた「フォクトレンダー」のレンズでした

「もし壊れても、また買い直せばいい。新品でも買える。」この安心感は、また持ち出そうという気持ちを後押ししてくれました。

高価なレンズを防湿庫で守り、スマホで次のレンズを探していた時間よりも、安価なレンズでもシャッターを切っている一瞬の方が、何百倍も「自分は今、カメラや写真と向き合っている」という実感に満ちていました。

手放して見えた、本当に必要なもの

預金残高が底をつき、物理的に「買う」ことができなくなったことで、ようやく私の狂乱は終わりました。そこから私は、あんなに執着していた機材を一つ、また一つと手放し始めました。

驚いたのは、その時の自分の心の変化です。宝物を失う喪失感に襲われるかと思いきや、実際には、呪縛が解けたかのように不思議と気持ちが軽くなっていくのを感じました。

レンズを手放すごとに、自分を縛り付けていた「コンプリートしなきゃいけない」「もっと良い状態で持っていなきゃいけない」という重荷が、ふっと消えていったのです。

コレクションを完璧にすることに夢中になるあまり、私は今手元にある素晴らしいレンズたちを、完全にないがしろにしていたのだと気づきました。「あれがなければ撮れない」という思い込みから解放され、「今あるもので、どう撮るか」に思考がシフトしたとき、ようやく私はスタートラインに戻れた気がします。

物欲が悪いわけではありません。けれど、モノで心の穴を埋めることはできない。幸せの有効期限は、決済ボタンを押した瞬間に始まり、届く前には切れてしまう。

もし今、あなたがかつての私のように、画面の中の機材に心を奪われているのなら。一度スマホを置いて、今手元にあるカメラに触れてみてください。レンズの傷も、混じった埃も、あなたが写真を撮ろうとした「生きた証」です。

最高の1本を探し続けるよりも、今ある1本を持って外に出る。そこには、どんな高価なレンズも映し出せなかった、あなただけの景色が待っているはずです。

最後まで読んでいただきありがとうございました。

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